華麗なる羽田国際空港の陰

先週のことですが、羽田エリアへ自転車散歩。

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羽田空港は幾多の変遷を経て現在の形になっておりますが、昭和初期の頃は赤点線で示した範囲ぐらい。元々は天明年間(1780年代)に要島と呼ばれた出洲を開墾した鈴木新田が始まり。

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昭和7年の広告用絵地図「海の家道しるべ」
この頃は海水浴場があり、現在の羽田空港の前身である東京国際飛行場や羽田競馬場、穴守稲荷も元々はこのエリアにあり大いに賑わい、三業地も形成された一大レジャーランドだったようです。

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海苔の養殖や近海漁を営む漁民や農民も住んでいましたが、終戦後、連合軍の接収により48時間以内の強制退去が命じられ、約1,200世帯3,000人が移転を余儀なくさた、時代の荒波に呑み込まれた町であります。町は跡形も無く取り壊され、連合軍空港専用線の敷設により極東軍事拠点としての空港建設が進められたようです。




そんな歴史を踏まえ、現在の穴守稲荷神社と移設された旧穴守稲荷の大鳥居、レンガ造りの堤防跡を巡ります。

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穴守稲荷神社 拝殿

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拝殿を守る狛狐 母。 子狐が戯れています。

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狛狐 父。 太い眉毛が凛々しいです。

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千本鳥居。

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海老取川を弁天橋で渡ると羽田空港エリア。
昔はエビを採ったんでしょうねぇ~

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弁天橋を渡ってスグ。ポツンと旧穴守稲荷の大鳥居。
戦後の羽田空港拡張に伴い諸々は取り壊されましたが、この大鳥居だけは壊そうとすると事故が起こる為、GHQもお手上げの放置。いわゆる祟りであります。

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その後の内政による拡張工事でも同様でしたが、1999年ようやく移設と云う形で旧羽田エリア南西の片隅に落ち着いたようです。




大鳥居から海老取川河口を挟んだ本土側にある五十間鼻。
水中に長さ50間(約90m)に渡り石を敷き詰め、洪水時の急流から岸辺を守るために作られたもの。

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五十間鼻の付け根にある無縁仏堂。
関東大震災や東京大空襲で多摩川に逃げ込んだ人達の死骸が相当数流れ着いたとのこと。

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五十間鼻から多摩川沿いに遡り、赤レンガ堤防を見に行きます。
左から多摩川。河川を埋め立てた堤防があり、その遊歩道際に住宅があり道路という並び。

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住宅と道路の間が河川境界で、その昔、堤防として積まれた赤レンガ塀がそのまま残っています。住宅の出入り口は切り欠きされてます。

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昔の河川形状がそのまま。

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堤防の外側(河川)になぜ家が建ち並んでいるのか不思議です。普通なら地目は「堤」のハズ。もとは不法占拠?特殊な利権?公図と謄本を見てみたい。

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大師橋付近の一部に防波堤としての形を見ることが出来ます。

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羽田エリア。
なかなか泥臭い歴史が残る興味深い町でした。

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