その昔、わが町池上にスパ&リゾートがあった。
鬼の急勾配 めぐみ坂
その麓からやや上に 大森めぐみ教会 があります。
めぐみ教会は、1927年(昭和2年)に創立。元々は少し離れた所にありましたが、東京大空襲によって教会も幼稚園も焼失した為、1945年(昭和20年)に移って来たらしい。
めぐみ教会は、現在建て替え工事中。
山の斜面地なので、かなり大掛かりな土工事をしてる。
トンガリ屋根のかわいいチャペルは戻ってくるのかなぁ~
めぐみ教会がこの地に来る前は・・・
1886年(明治19年) 池上温泉場を併設した大料亭 曙楼が建てられた。
池上本門寺に連なる台地斜面にあり、遠く房総を望む景勝地であったことから、多くの政治家や著述家たちが訪れた。
敷地は2340坪で、建物は12棟もあった。庭園には老梅1300余株と南天燭(いわゆるナンテン)3000余株が植わっていた。
しかし、関東随一を誇った梅の名所も、1929年(昭和4年) ウォール街の株価暴落に端を発する世界大恐慌のあおりを受け閉鎖されてしまう。
そんなスパ&リゾート的な曙楼の遺構が、
ほんの少し残っております。
其の一 曙楼門柱跡
今は、妙雲寺の駐車場出入り口となっていますが、
ここが曙楼の正面玄関だった様です。
こんな看板が立っています。
廃仏政策によって、元々は妙雲寺所有だったのに奪われた土地。曙楼は倒産したのに、久しく門柱だけが残っていた。良識人ぶった輩が保存しろと言うけれど、憎っくき曙楼の門柱なんぞ、ぶっ壊してやりましたわってことでしょうねぇ~(お父っちゃんの歪んだ解釈による。)
昔の写真を見ると、左側の御堂は今もある。ちょっと見落として来たけど、土台の石は当時のままじゃないかな?
其の二 煉瓦塀
曙楼の敷地ぐるりには、レンガ塀が設置されていたそうです。
養源寺と妙雲寺との間の石段を上がりきった所に僅かに残っています。
コレです。
唯一、公認されている曙楼の遺構です。
そう云えば

めぐみ坂に沿った外構に古いレンガが使われてる。
当時のモノかなぁ~
コンクリート塀の根元からもレンガがチラリ。
裏側を覗いてみると、やはりレンガが隠れていた。
昔のレンガ塀にモルタルを塗り、コンクリート基礎っぽくして、
その上からコンクリート塀を打った模様。
違法建築? なかなかヤルじゃん

番外編
完全に道路に越境している妙見堂の屋根。
この記事へのコメント
摩利紫天@analog-ya
お父っちゃんの写真ではセットバックしたっぽいめぐみ教会の門のところ、ストビューで見たら明らかにレンガっぽいものが道沿いに連なってました。つまりコンクリートで固めたってことかいな
こんな足腰丈夫になりそうな山の上も、世に連れ変わって行くんですねえ…
蒲田は梅の木の産地で知られていたそうですから、敷地の中のみならず、梅の季節の眺めはさぞ見事だったんでしょう
って妄想しだすと止まらなくなっちゃうんですよね~
boogie
ちょこっと残ったレンガも必死な感じ笑。気がついてくれて喜んでいるように見えます~~。
はな
随分、喰いつてきましたねぇ~
はな
本門寺詣の影響が強いんですかねぇ~