池上地方にあったと云う池上競馬場を探りました。
池上競馬場は1906年(明治39年)から1910年(明治43年)の5年間だけ開設された、日本初の馬券の発売を伴った競馬場。民間団体による運営です。
あまりの大盛況ぶりに各地で競馬場が乱立し賭博の弊害も顕著になり、馬券の禁止、政府の補助金による競馬場運営への転換、東京周辺の競馬4団体が合併させられ、目黒競馬場での半民半官の運営となり、池上競馬場は廃止されたそうな。
グーグルマップに落とすと大体こんな感じ。
池上駅の下(南側)が「馬見所」でメインスタンドになっていた。
現在の池上競馬場跡地は住宅地で、その一角にある徳持ポニー公園。
ポニー公園には、池上競馬場についてのモニュメントが設置されています。
内容的には大したことも書かれておらず、公園自体も競馬場をしのばせる特色もなく。
競馬場跡地をぐるりと回ってみましたが、面影を残す遺産は何もありませんでした。
池上競馬場跡地からスグ、島忠ホームセンターの裏に移動。
この一帯には、1926年(大正15年)から1934年(昭和9年)まで、慶応義塾大学の総合運動場があったようです。東急多摩川線武蔵新田駅に近いので新田運動場と呼ばれていた。
野球場もあり、大学野球華やかしき時代で大いに賑わったようです。
今では、池上線も多摩川線も東急電鉄の路線ですが、昔は池上電気鉄道と目黒蒲田電鉄とに会社が分かれていた。目黒蒲田電鉄の武蔵新田駅に対抗して、池上電鉄も今の千鳥町駅の100mほど手前に慶大グラウンド前駅を造ったりと旅客争奪戦が繰り広げられていたそうな。
日吉グランンドの開設後、グラウンドは売却され住宅地になっております。こちらもぐるりと一回りしてみましたが遺産的なモノはなし。何か薄暗い雰囲気の住宅地でした。
わが町池上のその昔は耕作地が広がり、単純に区画整理しただけの、池上本門寺以外に取り柄の無い町かと思っていたら、なかなかどうして面白い歴史があったんだねぇ~
池上競馬場探索中に発見した猫。
自転車を停めて見てると、トコトコ寄って来た可愛いコ。
お耳もカットされてるし肉付きも良いし、
誰かに可愛がられてるんだねぇ~
生憎、貢ぎ物も無く。
この記事へのコメント
boogie
自転車で走るだけではなくて、地元のイロイロ楽しんでますねー!!
100年も経ってないのにすごいいろんな歴史があるんですね!!
はな
ぶらはなリとはまた強引ですねぇ〜
摩利紫天@analog-ya
それが移転して今の府中競馬になってるのかと思うとちょっと感慨深いです
目黒の方は住宅街にくっきりカーブが残ってますけど、どこでもそうだとは限らないんですねえ
叔父が昔住んでいたのが目黒の元競馬場の近くなので懐かしい…
はな
カーブでも残ってるんじゃないかと期待しましたが、何の痕跡も無く面白みがありませんでした。
明治時代の話なんでねぇ〜
TAMO
ご心配いただきましてありがとうございました。
池上競馬場跡地にポニー公園とは。
こういう跡地めぐりと、古い地図と今を照らし合わせるのって面白いですね。