明治中期に海水浴場が開業され大いに賑わったそうですが、今や東京湾埋立事業による湾岸工業地帯的イメージと競馬、競艇のギャンブル的イメージが先行する町です。
そんな町を自転車散歩してみた。
京浜急行線「大森海岸」駅。
これと並走する国道15号線沿いに、重量級マンションが建ち並ぶ街区があります。
冒頭のとおりの町なので、てっきり工場跡地かと思っていたら。
大森海岸海水浴場の華やかし頃に栄えた老舗料亭の跡地だったのです。
昭和10年頃にピークを迎え、第二次世界大戦やその後の経済変動により衰退したようです。
現在の地図に料亭があった場所を落としてみた。
そして、地図に記した料亭跡地に現在のマンション群とを照らし合わせてみた。
大戦末期、楽々園や悟空林は大日本帝国陸軍の挺進隊、いわゆる特殊部隊の寮として使用され荒らされてしまったらしいです。
小町園は、終戦直後のGHQの進駐に対し、日本国が設立したRAA(Recreation and Amusement Association)による、特殊慰安施設の第一号として改装されたそうです。当初、日本橋三越が予定されたらしいのですが、三越側が猛反発したとか。
圧巻は福久良。
国道15号線平和島口の交差点から向こうの歩道橋までが敷地。
歩道橋側から見てみる。広大な敷地であります。
敷地の約半分に建つ東京サーハウス。2002年築で、これは記憶にある。ただでさえ異彩を放っていた街区に色気も何もない、ただのコンクリートの塊の様なマンションが出来たことを。
どの料亭もかなり大きな敷地です。料亭業衰退後、敷地丸ごとでは買い手が付かず、分筆・合筆が繰り返され、得体の知れないブローカーの権利が山ほど設定され、転売、転売、また転売だったのではと想像します。あぁ、謄本見てみたい。
裏側に回り込んでみる。
埋立て事業前、遠浅の海が広がり、各料亭から涼み台が張り出されていたそうです。
小町園~楽々園は現在、品川区民公園に面しております。
福久良は、ボートレース平和島。競艇場に面しております。
でもこうして見ると、埋立て前は海原が広がるセレブのリゾート地だったんでしょうねぇ~
国道15号線を挟んだ向かい側にある磐井神社。
それぞれ三匹の子犬をあやす子煩悩な狛犬。
境内の片隅にある海豊稲荷神社。
当時の料亭などから奉納された玉垣。
おや? その一つに「池上 三葉屋」の文字が。。。
調べてみた。
所在までは分ったものの。。。
はなちゃんの動物病院の近くでした。
現地には一般住宅があるだけで、
それ以上の詳細はなく。
ただ、玄関先に小さな表札だけが掲げられていました。
当時栄えた大森海岸周辺の花街。
そこの芸者さん達と取引があった呉服屋さんだったのかなぁ~
この記事へのコメント
摩利紫天@analog-ya
あの辺は第一京浜の殺伐とした感じと相まってあまりイメージ良くなかったんですが、海側から見るとまた違った印象になるもんですねえ
思わず福久良を検索してしまいましたよ…
コマダム
船橋も日帰りで楽しめるリゾート地だったそうだし、館山も少し前まではにぎやかなリゾート地だったらしいですよ。
で、富士山は?
はな
駅名からして大昔は海岸があったんだろうなと薄っすらと思えましたが、あの殺伐さからは、本当に海岸があったなんて想像できませんよねぇ~
はな
富士山行って来ましたよぉ~
次のブログで・・・
やす
仰る通り、料亭街で、かなり賑わっていたようですね。
先日、実家に帰ったときに、写真を整理していたら、当時の玄関前で同僚の板前さんたちと写したセピア色の写真を見つけました。
重厚な作りで、今の殺伐とした大森海岸とは全く違いますね。
その時代の大森海岸に行ってみたいと思いました。
はな
写真とか見てみたいですねぇ〜